ひきこもりがちな。

ゆる〜く。

桜ヶ丘公園

桜ヶ丘公園を散歩することにした。

聖蹟桜ヶ丘駅京王百貨店の案内所でもらった地図を見ながら歩いてみた。途中までは、地図の通りに行けたけれども、その後、道に迷ってしまい、時間と体力のロス。

 

グーグルマップにマークしていた「ゆうひの丘」に行ってみる。夕方になるともっと綺麗な夕焼けが見えるのだろうなと思う。あまり目立つ建物がなく、奥多摩の山が見えるのだろうけど、曇り気味の天気だったので、見えなかった。


雑木林のような場所がたくさんあって、プチ登山の気分になれる。普通の公園を歩くよりも、それが魅力的だと思う。

 

階段を登っていくと(息切れしました)、明治天皇の記念館に到着した。内部には馬に乗った明治天皇の大きな像が置かれていた(本当に大きい)。無料で入れる。こんなところに建物を作ってしまったのは何故なんだろうかっていまさらに思う。

 

 

一時間くらい公園を歩きまわったかもしれない。公園を出たところに年季が入ってそうな橋を発見。この辺りが聖ヶ丘。静かな住宅街が広がっていた。

 

聖ヶ丘の住宅街を進み、公園に入り込む。

 

よこやまの道にいくつもりだったけれども、このあたりでは目的地のことを考えずにブラブラ歩いていた。そうしたら「よこやまの道」の方向を示した標識が見えた。気持ちを新たにして目指そう。

 

 

推し。

推しだなって思ったタレントさんがいたけれども、どうなっちゃっているのって話がネットに出ていたりして、推しにするかどうか迷っているというとても複雑な心境。

インスタも見てみたけれども、まあ、どうでもいいや程度になっている今の状況。

推し活って難しいと思ってしまった。

朝の散歩。

連休中に注文しておいてNikeのジャージが配達されていたので、早速、そのジャージを着て、早朝五時半過ぎから歩いてきた。すでにムーブリンクを達成できた。

hanacataki.hatenablog.com

達成できたけれども、一時間半歩いても一万歩には届かないのが残念。

それでも、今朝はいい写真が撮れた。

東京競馬場のそばを通った時にいい写真が撮れた。冬って富士山が見えるから好き。寒かったけれども、Nikeのジャージ着て、さらに気分が上がったような気がする。

今日は家で仕事をする。



 

日経を読んで。

今日の日経で一番印象に残っている記事。

会議を改革するくらいだったら、いっそのこと、会議をなくして仕舞えば良いと思ったりしたけれども、会議は決して無くすことができないだろう。必要な会議もあるし。

www.nikkei.com

自分の上司は、中途入社組だけれども、うちの会社は会議が多いと言っていた。出席する必要がある人を厳選して招集するのではなくて、とりあえず会議に参加させようという風潮が強いと不満を述べていた。その上司は、オンライン会議中に、自分に関係ない会議だと認識すると、会議もそっちのけで、メールの処理をしている。合理的な仕事の仕方だなと思う。招集されたら会議に集中すればいいのにとか思ったりはしない。自分の場合、メールの処理をしている最中に意見を求められたりしたらパニックになるので、上の空だけれども、会議に集中しようとしているつもりだけれども。

大手行の本部行員にとって、部門の目標や方針を決める会議用の資料作成は重要な仕事だ。銀行や部署で異なり会議のやり方や準備は千差万別だが、会議の1カ月前から準備をはじめ、1週間前に資料が完成。役員の質問に答える補足資料を含めると数十ページに及ぶことも多い。

長らく海外赴任して帰ってきた後に配属になった部署で半ばうんざりしたことがあった。

プレゼン資料を作っていた時に、本編のスライドが30枚程度で、参考資料のスライドがその三倍くらいあって、参考資料も含めて発表者に事前配布するのがものすごく大変だった(とにかくファイル容量が大きくなった)。結局、発表で使った参考資料は、微々たるものだった。質問が多岐に渡ることを想像して、それに備えて参考資料がどんどん増えていくのだが、本社の「お作法」から疎遠になっていた自分には、呆気にとられるようだった。単に自分が面倒くさがり屋だからそう思ったのかもしれないが、自分が発表者だったら、参考資料を沢山準備して会議に臨むに違いないとも思ったり。

その後、たまたま配置希望の面接があって異動を希望したら、異動することになり、今は、プレゼン資料を作成するなどからほど遠い仕事をさせてもらっている。

 

 

ツィッターを見るのをやめてみた。

一月の初めの地震の時には、ツィッターを頻繁にみていたけれど、リツィートばかりしているアカウントとか、動物とか花の写真とアラビア語でつぶやいているアカウントとか、日本語も分からなさそうな海外の人がどこかのアカウントをコピペしてツィートしているアカウントとかばかりがタイムラインに出てきたりするのが気持ち悪くなったので、携帯からアプリを消したり、ログアウトしたりして、しばらくの間、ツィッターから離れることにした。

そうして一ヶ月くらいが経つのだけれども、精神的にも楽になり、情報の洪水のようなものから解放されたような気がする。ツイッター中毒になっていたのかなと思っている。昼休みとか、電車に乗っている時にもツィッターを見ているということが全くなくなった。

正直なことを言うと、ログアウトしたけれども、ログインし直して見ることもある。ただ、ログインしても、おそるおそる見ているような状態で、自分がフォローしているアカウントしか見ないようにして、ツィッターが勧めるアカウントを見ないようにして、「いまどうしてる?」も少し見るくらい。こうしていると、ツィッター先生も分かってくれて、(自分にとって)質の良さそうなアカウントとか、自分が本当に見たいと思うアカウントしかタイムラインに載せないのではないかと思ったりしている。

精神的に楽になっただけではない。このはてなブログを利用するようになった。長々と文章を書くほどの能力は無いので、ツィッターのようにつぶやく程度の言葉をアップするのがメインだ。

たまには、下手な文章を長々と書くことある。ストーリーのある文章を書くことはできないけれども、思ったことを書き連ねることが増えた。そうして、いいねを付けてもらうことを意識してつぶやくこともなく、本当に気ままに思ったことを書いている。自己承認欲求満載の自分にとっては、フォロワーが現れたり、スターが付いたりすると、なんとなく嬉しさを感じることがあるが、それを期待することはなく、気ままにゆるめにやっていこうと思っている。